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清貧崇拝症候群
投稿日:2019/09/01

清貧崇拝症候群の人は何故かいつもお金の心配をしなければいけない状況にいます。働いても、働いてもお金が貯まらないのです。まとまったお金が入ってきても、同額の出費が突然に派生したりします。

 

清貧崇拝症候群の人はサボっているわけじゃありません。それどころか人一倍一生懸命に働いています。でも、何故かリッチな生活には程遠いところにいます。

 

給料が少ないから? 景気が悪いから? 政府の経済対策が悪いから?

 

それも一つの理由ではあるかもしれません。しかし、それよりも貴方自身がお金を持つこと、リッチになることへの強い否定がバイオコンピューターに設定されている可能性が高いのが清貧崇拝症候群の人の問題なのです。驚くことに本当にたくさんの人たちがこの清貧崇拝症候群を持っています。

 

お金を持つことに対してネガティヴな設定になる環境の多くは下記のようなものです。

@お金は汚い!

お金は人から人へ旅をしています。その途中で道やトイレに落ちたりして衛生的ではありません。その為に潔癖症の親から「お金は汚いから触ったら手を洗いなさい」と神経質に言われて育ってしまった場合、お金は「汚い!」触らない方が良い、手に持つべきではないというイメージを植えつけられてしまいます。その結果

「お金は汚い」=「汚いものは持ちたくない」とバイオコンピューターに設定されてしまいます。

 

@お金持ちは嫌な奴!

子供の頃に周りの大人たちがお金持ちに対して常にネガティヴなコメントをしていた。これは衛生面の汚いではなく、精神的な“お金は汚い”です。

大人A:「○○家の人たち、また海外旅行に行ったみたい、お金が余っているのね~」

大人B:「隣の人が言っていたけど、なんか○○家はあくどい商売しているらしいよ…。お金持っているのにケチだしね」

大人A:「まったく、私たち正直者はいつまでも貧乏で、悪い奴はどんどん金持ちになる世の中ってことだよね~」

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大人A:「○○さん、また、新しい外車を買ったみたいだよ」

大人B:「そうやってお金を持っていることをみんなに見せびらかしたいんだよ。金持ちって嫌味よね~」

 

@貧乏人は心が綺麗!

子供の頃に周りの大人たちが貧乏をポジティヴにコメントをしていた

大人A:「○○さんは若いのに本当に気がつくし優しい子なのよ」

大人B:「長い間、貧乏で苦労してきたからだね」

このような会話の中で育った子供には自然に「金持ち=悪人、貧乏=善人」のような設定がバイオコンピューターに記憶されます。

 

しかし、ここでいう“貧乏”とは実際には平均的な家庭が多いのも見逃せません。海外旅行する余裕は無いが国内の小旅行なら出来るぐらいの家庭です。高級車は買えないけど、普通車ならば買えることが出来る家庭なのです。毎日食べるものに苦労している、光熱費を滞納している、という貧乏ではありません。

 

@大金は禍の元!

大金を持つことの恐怖です。遺産相続や宝くじが当たったために人間関係がギクシャクしてしまった家族を見て育った場合もお金に対してネガティヴなイメージを持ってしまいます。“大金”の為に“問題が発生”したために「大金を持つのはトラブルの元」から「大金を持つことは恐怖」=「大金を持ちたくない」とバイオコンピューターに設定されてしまいます。

 

@お金持ちへの妬み

他人の持っているものを羨ましく思う気持ち、それがポジティヴに作用して「自分もいつかあんな立派な家に住みたい!」とか「いつかお母さんに大きくて素敵なキッチンを作ってあげたい!」など、羨ましい気持ちが自分の夢を作り上げて、その目標に向かっていくなら問題はないのです。

 

育った環境は貧しかったけど、大人になって成功した人たちの話には心を支える優しいおばあちゃんやお母さん、おじさんなど、貧乏に負けずにしっかりと愛をくれた大人たちが登場します。貧乏でもポジティヴに生きていた大人が存在した貧乏経験(苦労、苦難)は成功者を生みます。

 

しかし、この羨ましいがネガティヴに作用すると、羨ましい(ウラヤマシイ)から妬ましい(ネタマシイ)、悔しいと変化します。そして、悔しいは怒りになることもあります。結果、その羨ましく思う相手のあら捜しをしだします。ネット上で有名人などを執拗に中傷する人などは羨ましいがネタマシイ、そして怒りになった人です。そういうエネルギーを持っている人はお金にも人間にも良い縁はなかなかこないでしょう。

 

@「世の中はお金じゃないよ、愛だよ」

本当にそうです。一番大切なものは愛なのです。しかし、この「お金じゃないよ愛だよ」という考えが偏り過ぎると問題です。「お金なんかいらない、純粋な愛だけ欲しい」とバイオコンピューターに設定されてしまうと、この物質社会に生きて行くのが困難になってしまいます。

 

お金のない人に恋をして貢ぎ、他人にお金を貸して後で自分自身が困ってしまうことが多い人はこの清貧崇拝症候群の人です。

 

では、貴方に清貧崇拝症候群があるかどうかチェックしてみましょう。

イメージしてください。質問者は心を許した身内とか仲の良い友人ではなく、顔は知っているけどあまり話したことはない知人ぐらいの距離の人です。さあ、この人に質問されたら貴方はなんと答えるでしょう?

 

「貴方は大金持ちになりたいですか?」

 

 

 

さあ、貴方の答えは?

 

 

 

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「貴方は大金持ちになりたいですか?」

 

この質問に躊躇なく「はい、なりたいです!」と答えた人は清貧崇拝症候群ではありません。

反対に下記のように答えた人は清貧崇拝症候群の疑いが強いですね。

 

「別にお金持ちにはならなくてもいいんです。ただ、ゆとりのある生活が出来れば幸せです」

「お金持ちになるんなら見栄を張るお金持ちにはなりたくないです」

「ちゃんとお金の管理をすることが出来る人がいてくれたら、お金持ちになってもいいです」

「大金を持ったら働く気がなくなって人生が狂ってしまうから、そこそこの生活でいいです」

 

お金持ちになればゆとりのある生活が手にはいるのにわざわざ“お金持ちにはならなくいい”って答えるのがおかしいですよね。お金持ちになった時にそのゆとりのある生活を維持できる分を残して後は寄付でもすればよいし、見栄を張るかどうかは自分次第、お金の管理が心配なら会計士を雇ったりすれば良いことなのです。

 

最後の答えをした人たちは現在の自分の仕事を楽しんでやっていない人、趣味も無く楽しみは〇〇だけという生活をしている人、あるいはそのようなった人を見たこと聞いたことがある人でした。「お金持ち」=「だらくした生活」という設定があるのでしょう。

 

働く気がなくなってしまうような仕事ならお金持ちになったらもうする必要はないわけで、自分の好きなことをして生きていけば良いだけなのです。

 

そして、これは日本人独特だと思うのですが、たくさんの人たちは「もちろん、大金持ちになりたい!」とダイレクトに答えることが他人に下品、いやらしいと思われるのではと湾曲的な答え方をするようです。

 

いろいろな理由や条件をつけてお金持ちになることを否定するのは、やはり子供の頃の環境です。

 

「お金持ちになりたい?」と聞かれて「え~でも豪邸に住んだら掃除が大変だからいいわ」と私は答えました。

「豪邸に住めるぐらいの人なら、掃除の人を雇えるから心配する必要はない」と質問者に即答されました。

 

なんて間抜けな答えなのでしょうと後で自分のとっさの答えに笑いました。私の頭の中は「お金持ち=豪邸(掃除が大変)」と設定されていたようです。一体それはどこから来たのでしょうか?記憶を遡ってみました。

 

私が幼い時、家族は小さな借家に住んでいました。その頃、母は「小さい家でもこんなに掃除は大変なのだから、○○さんみたいに大きな家に住むと掃除がもっと大変。本当にうちは小さい家でよかった」とよく言っていました。近所には大きな家がいくつかありました。子供の頃は大きな家だと認識していましたが、大人になってから考えれば、私たちの小さな借家から見れば大きな家でしたが、お手伝いさんを雇うほどの豪邸ではありませんでした。

 

そこの奥さんたちが母に掃除が大変だと訴えていたのか、それとも母が勝手にそう考えていたのかは分りませんが、長い間、忘れていたイメージが蘇ってきたのです。そこからきたのかぁ~と笑ってしまいました。

 

考えてみれば大人になってから一度も他人から「お金持ちになりたい?」と聞かれることがなかったので、自分がそんな反応をするとは思ってもいませんでした。

 

友人たちと「もっとお金欲しいなぁ~」とか「お金持ちになりたいよね~」とか「宝くじ、当たらないかなぁ~」などと会話の中で言っているのと、「貴方は大金持ちになりたいですか?」と改まって聞かれた場合とでは反応は違います。

 

私はいろいろな人にこの質問をしてみました。「大金持ちになりたいですか?」の答えに「宝くじの一等が当たるのなら…」と言う人たちがいました。理由は宝くじなら偶然当たったラッキーなことなので別に自分が欲張りとかじゃないから周りの人たちもそれを受け入れてくれるだろうから罪悪感が少ないというのです。人知れず宝くじがこっそり当たるならお金持ちになっても良い、と言う人もいました。

 

お金持ちになることに消極的あるいはネガティヴな答えをした人はしっかりと清貧崇拝症候群があります。どのようなお金持ちになるかは自分次第、“なってからの話”なのです。

 

なる前からすでに「お金持ちの自分」に否定的な思いを持っていたら絶対になれません。

 

宝くじに当たっても最終的にはまた元の生活に戻ってしまう人はこの清貧崇拝症候群のある人です。

 

清貧崇拝症候群が人間関係や物事に現れる人

 

清貧崇拝症候群はダイレクトに金銭に関わるだけではなく、巡り合う人間や物事にも現象として現れることもあります。出会う人がいつも「悪い人じゃないのだけど…」と前置きがついてしまう人や「悪い仕事じゃないのだけど…」と自分を納得させて受けなければいけない仕事ばかりが来る人も清貧崇拝症候群があります。

 

やりがいのある仕事や一緒にいてプラス思考になる人物に時間を費やせばエネルギーは回ります。その結果がお金という形で現れます。お金は自分から発散するエネルギーが物質化したものです。

 

ですから、自分のエネルギーをやりたくない仕事に費やし、ネガティヴな思考の人と長い間過ごしていると気が詰まります。エネルギーが停滞すると当然いろいろなことが回らなくなり、最終的にお金の回りも滞ります。ですから、お金持ちの人でもネガティヴなエネルギーに関わっていると富が少しずつ減っていくでしょう。

 

お金持ちの親の財産を崩壊させるのは清貧崇拝症候群のある子供です。

 

「世の中には心が汚くてもお金持ちの人がたくさんいる」という人もいると思います。でも、もう昔のような流れではありません。悪事で稼いでいた人たちの富は確実に減ってきているでしょう。
もし、仮に心汚くてもお金は増えているのであれば、その人や家族に精神的にあるいは肉体的に大きな問題が発生しているはずです。

 

清貧崇拝症候群はこの本の中でも一番たくさんの人たちに当てはまる症候群だと思います。一握りの富裕層の人間たちは長い時間をかけ宗教やメディアを使って一般人に「清貧崇拝」を洗脳して来ました。実際は一握りの限られた人間だけが金持ちではなく、みんなが一緒に金持ちになることだって可能なのです。

 

清くて優しい他人に愛される貧乏人ではなく、清くて優しい他人に愛される金持ちになることだってできるはず。それは自分の心持次第のはずです。お金持ちになれば困っている人たちを助けることも出来ます。自分の周りの人々がどんどんお金持ちになれば心が豊かになります。

 

「仕方がない、世の中ってこういうものだから…」と自分に言い聞かせている人は「どうして世の中がこういう仕組みになっているのか?」というところを突き詰めません。この仕組みに清貧崇拝症候群の人たちがみんな気づいたら現在の世界のシステムを崩し本当の意味での平等な生活を地球上の人間が経験できるでしょう。

 

 

併用する他の症候群

自分が他人よりもラッキーだと悪い気がする → ギルト症候群
時間や約束にルーズ → ギルト症候群
休暇が出来ると嬉しいけどどうして良いか分からない → 強迫観念症候群
「どうせ自分は○○だからXXXが出来ない」という自己否定 → 自己批判症候群
お金持ち、有名人、成功者に対する敵意、嫌悪、批判などネガティヴなイメージ → 独善的批判症候群
気がつくと自分の周りにはお金に苦労している人ばかりが集まっている → 親切奉仕症候群
「貧乏暇なしよ」が口癖 → 苦行僧症候群

 

 

エクササイズ

疎外感、妬みのような気持ちがある → 脾臓のエクササイズ
褒められるのが苦手で謙遜癖がある → 肺のエクササイズ、大腸のエクササイズ
疑い深いためにせっかくのチャンスを逃してしまう → 胃のエクササイズ
自分の直感を信じない、後で信じなかった自分を後悔する → 腎臓のエクササイズ

 

 

清貧崇拝症候群の人のアファメーション

「私はお金持ちになる人間的な価値がある」

そうなのです!貴方は人間として十分に価値のある人なのです。だから、お金持ちになって自分も望む生活を送ることが出来て、その上に金銭的に困っている他人に必要なサポートを与えることが出来るのです。

「私は大金を持つことへの恐怖や不安を解消します」

大金を持った途端に“嫌な人間”になるのではありません。大金を持った“自分がどうありたいか”というイメージがはっきりと出来れば大丈夫。後は自分の今与えられたことを一生懸命こなして自分の夢に向かい前に進んでいけばお金は後からついて来ます。

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