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独善的批判症候群
投稿日:2019/09/07

独善的批判症候群の人はとても鋭い観察力の持ち主です。せっかくの鋭い観察力が残念ながら人間関係でネガティヴに出てきてしまうのが独善的批判症候群の人です。

 

例えば、独善的批判症候群の人に友人Aさんを紹介しました。「Aさん、良い人でしょう?」と貴方は軽く言います。「そうね」と軽い答えを期待して。しかし、他人の欠点を見つけるのが得意な独善的批判症候群の人は「そうね…でも、ちょっと服装がダサいよね」と「でも、ちょっと…」と何かしら見つけて余計なことを言ってしまうのが独善批判症候群の人なのです。

 

「えぇ本当に」と、軽く流せば良いのですがそれが出来ません。特に細かくその人をチェックしてくれと頼まれたわけではないのに何故か欠点を探そうとするセンサーが働きます。その観察力で他人の長所をもっと探し出すようにすれば人間関係の摩擦が減るのですが、それが出来ないのが独善的批判症候群の人なのです。

 

独善的批判症候群の人は子供っぽいのも一つの特徴です。「子供っぽい」と「子供のような」は同じようで全く違います。子供っぽいは「考え方が子供っぽい」など、幼稚な、と言う意味で子供のネガティヴな要素を示しています。子供のようなは「子供のような純粋な心」「子供のような好奇心」など、子供のポジティヴな要素を示します。

 

独善的批判症候群の人は人間関係の中で「えっ?」と周りが驚くようなタイミングでこの「子供っぽい」ところがどこかにポロッと現れます。人が弱っている時に励ましの言葉をかける代わりに、傷つくような言葉を使ったりします。本人には相手を傷つけている自覚は全くありません。

 

「どうして結婚しないの?」「どうして子供作らないの?」なども、相手が結婚したくても相手が見つからないとか、子供が欲しくても授からないという“他人の事情”ということを考えずに無邪気に質問をするのが独善的批判症候群の人です。

 

このような質問で傷つくのはもちろん受け取る側のコンプレックスのせいでもあります。しかし、相手が独善的批判症候群の人であった場合、そうではない人の質問やコメントよりも“無神経”と映る確立が高いのです。

 

幼い子供は感覚的なので“好き”か“嫌い”かの両極の二つの選択肢しかありません。
「このお肉食べる?」「お肉嫌い!」 「この色のお服好き?」「嫌い!」幼い子供は相手の気持ちを考えて返事はしません。無邪気な子供の言葉と無神経な大人の言葉、同じようで大きな違いがありますよね。

 

大人になると「とっても美味しそうな匂いですね。でも、お腹が一杯なので」「残念ながら肉は食べないんです」と否定の仕方に自然に気遣いが出てきます。

 

独善的批判症候群の人に「もう少し優しく言ったら人間関係の摩擦が減ると思うよ」と助言すると「自分の気持ちに正直なんです。嘘は言えません!」と答える人が多いのも特徴です。嘘をつけとは言っていないんだよね。表現を柔らかく、と言っているのに嘘を言えと言っている様に聞こえるようなのです。この部分が子供のように両極端なのです。

 

独善的批判症候群の人は8歳から思春期の15歳ぐらいの間に「自己肯定」するためのトラウマがあり、その部分だけ成長が止まっているようです。他人のことを「あの人、私大嫌い!」とか他人の意見を「あの意見はくだらない!」と、とてもネガティヴでシンプルなコメントをする時は幼児のような感覚や感情で反応しているということです。

 

そのために社交的な独善的批判症候群の人はあっちこっちで人間関係に余計な波紋を起こします。
非社交的な独善的批判症候群の人はネット上でいろいろ辛らつなコメントをしたりします。些細なことで正義を振りかざして他人を責めるクレーマーも独善的批判症候群の人です。

 

女学生のような仲間意識があり自分の意見に異論を持つ人は敵のように扱ってしまう傾向があります。人それぞれに意見があること、他人の意見を聞いてみよう、話し合って歩み寄ろう、という考えは残念ながらほとんどありません。あったとしても相手が歩み寄ってくることを期待します。

 

批判を意見と混合していて、自分が他人を批判してそれで相手が傷ついても、率直な意見を言っただけと自分を肯定し、他人が自分に対して意見を言うとそれを批判だと受け止める被害者意識がある人も多いです。

 

ここでいう“女学生のような”というイメージを説明すると女性ホルモンがまだ落ち着かずに過剰な女性性がでてしまい、女性性の負の部分が大きく出てしまった女学生ということです。さっぱりとしたボーイッシュな女学生ではありません。「超かわいい~!」とか「超ダッサい~!」など表現は極端で“えこひいき”も症状にあります。

 

独善的批判症候群の人に関わった人は「知識も豊富で頭が悪いわけでもないのに、どうしてあのような幼稚な言動をするのでしょうか?」と大人として理解出来ないと疑問を持ちます。知識の量と精神的な成熟差は比例しません。

 

精神的に未熟なティーンエージャーをイメージしてください。大人顔負けの豊富な知識を持っていても人生経験が伴っていないために自分の内にある恐怖、不安、コンプレックス、エゴをどの様に対処して良いか分からなくなると感情のコントロールが出来なくなって周囲の親や先生に当り散らしたりします。弱い者や小動物をいじめたりすることもあります。

 

このティーンエージャーには助けが必要だと第三者には分かりますが、助けてやろうというアプローチで近づくと「助けなんかいらねぇーよ!俺にかまうなよ。自分のことは自分が分かっている!」とうそぶいたりするのと同じです。

 

この独善的批判症候群の人は何かの理由で親が子供を庇護するのではなく、子供が親を庇護しなければいけない状況で育ち、幼少期に精神的にそして肉体的に辛い経験をした人が多くみられます。子供の時に子供らしく伸び伸びと育つチャンスを持てなかった人です。

 

親に褒められたり、励ましてもらえなかった分「私は正しい、間違っていない」と自分で自分をずっと励まして頑張ってきた人、親や周りの大人の望む良い子を演じていたり、知識をたくさん詰め込んだ結果、その知識と精神的成長に大きなギャップが出来てしまったのです。

 

あるいは独善的な愛で親に厳しく育てられ、子供特有のわがままを言ったり、慰めてもらった経験がないためにその反動で大人になってから「子供ぽい」態度が出てきてしまうこともあります。独善的な愛とは「ママ(パパ)は貴方のためを思ってこうしてるんだよ」「貴方の親なんだから、貴方には一番良いことを知っている」などと愛でコントロールすることです。

 

幼い頃に子供らしく育つことを止められて英才教育でエリートの道を目指すことを強いられた人は大人になってからそれなりのポジションについた人にもこの独善的批判症候群が多く発症しています。

 

独善的批判症候群の人には親切な人もいます。しかし、その親切には力が入りすぎてしまい、恩着せがましく映ることもあります。そして相手がその親切を遠慮しても自分の独善的な考えにどっぷりとはまってしまっているために“迷惑かも?”と気づくことがなかなかできません。

 

これもやはり幼児と同じです。幼児の作品は親にとっては思い出として大切に持っていることも出来るかもしれませんが、他人には「これをもらっても…」という作品になりますよね。そんな感じです。

 

独善的批判症候群の人の中にはこれらの症状が身内限定ででてくる人もいます。いわゆる内弁慶ですね。

 

併用する他の症候群

噂話が大好きで小さなことを大きくする。プライドが高く好戦的 → 自意識過剰症候群
周りに金銭的に余裕がない、気の弱い問題を抱えた人が集まってくる → 清貧崇拝症候群
他人を無駄に巻き込んだドラマがいつもある → ドラマクィーン症候群
予定をギリギリで変更し待ち合わせ時間に遅れる → ドラマクィーン症候群
自分のやり方、考え方に執着、頑固、被害妄想、神経質 → 強迫観念症候群

 

エクササイズ

誰も自分のことを理解してくれないと感じる、疎外感 → 脾臓のエクササイズ
感情の起伏が激しい → 肝臓のエクササイズ
脂肪の分解が悪い → 胆嚢のエクササイズ
むくみやすい → 腎臓のエクササイズ
拒食症、過食症 → 胃のエクササイズ
いくら食べても満足感が無い → 小腸のエクササイズ
無駄にプライドが高い → 肺のエクササイズ

 

独善的批判症候群の人のアファメーション

「私は完璧です」

完璧な人などいません。欠点がある自分を認めその自分を完璧だと認めるところから始まります。欠点があるから、それを直すためにあれこれ学んで実践して身につけていくのです。自分の成長が楽しめます。その問題のあるところが「この人生での課題」なのです。
そのことが理解できれば「勉強の出来ない自分」「運動の出来ない自分」「容姿がいまいちの自分」「とんでもない環境で育てられた自分」が、どうして完璧なのか分るはずです。そして、自分の不完全さを完璧と受け止めれば、日常生活で関わる他人の不完全なところが気にならなくなるでしょう。もし、気になるならば他人を治す前にちょっとでも自分の中にある「その他人の欠点と同じ部分」を治しましょう。

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