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自己批判症候群

自己批判症候群の人は一見、完璧主義のように見えますが、ちょっと違います。完璧主義なら完璧に出来た時に「よし!出来た!」と満足できますが、自己批判症候群の人には完璧がありません。何をしても「どこかに落ち度があるのでは?」と自分のしたことに対して批判をしようとしてしまいます。

 

「そんなに自分に厳しくしなくても良いじゃない?」「十分だよ。よく出来ているよ」と他人に褒められても実感できません。自分の仕事や容姿のことを褒められても「いや、でも、この部分が…」と何か欠点を見つけて自己否定をしてしまいます。

 

初めは謙虚な人だと思われるかもしれませんが、謙虚も度が過ぎると自己卑下、受け取る相手によっては嫌味に取られてしまうこともあります。どちらも他人との関わり合いではマイナスの要素になります。自分に厳しく向上心が強過ぎる人も陥りやすい症候群です。

褒められなかった子供時代、成績や躾に厳しかった両親。

自己批判症候群の人は子供の頃に褒められて育っていないので、褒められると嬉しいけど、どう反応してよいのか分からず戸惑ってしまいます。反対に注意や指摘されるのは嬉しくないが、その方が慣れているので受け入れやすくさらに自分にムチを打って頑張ります。

 

100点満点中90点を取ったら「あら?10点、どこを間違えたの?」と言われて育った子供と65点を取って「半分以上だ、良くやった!」と言われて育った子供、この二人が成長した時に一体どちらが自分に自信を持って生きていける大人になるかは歴然です。

 

もっと、出来る子に育てたい!という親心は理解できます。しかし、出来るところよりも出来ないところばかりに焦点を当てられていると子供にとってはトラウマになってしまいます。そして「私はいつも不十分。親を喜ばせることは出来ない」という設定がバイオコンピューターに入ってしまいます。

 

自己批判症候群の人はエネルギーの関係上、独善的批判症候群の人と関わりやすいので、この関係のパターンを会話で現すと下記のようになります。

 

独善:「自批さんはもっと○○すべきよ」(今のままじゃダメ。もっと頑張りなさい)
自批:「うん、私もそう思う、私、もっと○○しないといけない」(私はいつまでも十分じゃない)

独善:「またXXXしたんだ。あんなにXXXにしちゃいけないって言ったのに」(何度言ったら分かるの?)
自批:「ごめんなさい。気をつけていたつもりだったんだけど」(私ってどうしてこんなに間抜けなの?)

独善:「私がせっかく○○してあげたのに…」(私の努力が台無しじゃない)
自批:「本当にごめんなさい」(私ってどうしてこうなんだろう?)

独善的批判症候群の人は虐めているつもりはありません。あくまでも自己批判症候群の人のことを思って助言をしていると“思い込んでいる”ので、自己批判症候群の人が「そんなひどい言い方しなくても…」と表情や言葉で表しても独善的批判症候群の人には全く届きません。届いたとしてもそれは自己批判症候群の人の“ネガティヴな受け止め方”だから、「私がそれを変えて(助けて)あげなければ」と独善的批判症候群の人は処理します。

 

恋人でも友人でも会社の上司や同僚でもこのパターンにはまると独善的批判症候群の人は自己批判症候群の人の心が折れるまで批判し続けます。もちろん、独善的批判症候群の人にとっては批判ではなくアドバイスです。自己批判症候群の人には独善的批判症候群の人には太刀打ちは出来ません。

 

唯一、出来ることは独善的批判症候群の人から離れることです。自己批判症候群が完治してから会うべきです。そうしないと同じパターンからは抜けられません。

自己批判症候群の人は周りの人たちから「ちょっと、○○さんは…」と避けられるタイプの人を「かわいそうだから」「悪い人ではないから」と関わり、問題に巻き込まれてしまうこともよくあります。

 

自己価値が低いために関わる人間の基準をかなり落としています。付き合う理由が「かわいそうだから」は相手を馬鹿にしています。かわいそう、という理由で他人が自分と付き合っていると知ったら嬉しくはないですよね?

 

「悪い人じゃないから」も似たようなものです。悪い人の定義が何かと言うことです。他人に対して故意に嫌なことをする人?自分を嫌いな人?犯罪者?

 

「一緒にいるとネガティヴで疲れちゃうけど、でも、犬とか好きで、優しい人なんだよね。何とかしてあげたい。悪い人じゃないから…」

 

それならば、相手のことを思ってはっきりと「ネガティヴな所に焦点を当てる癖を治した方が良いよね。私も疲れてくると旦那の悪い所に目が言って文句言っちゃうから気をつけるようにしているのだけど(笑)」のような感じで自分のことも少し入れて話せば角も立たないのではないでしょうか?

 

そのネガティヴな部分のために「悪い人」じゃない彼女/彼は友だちが貴方しかいないのです。治すべきところを指摘しないとそういう人はいつまでも「悪い人じゃないけど」止まりになってしまいます。その人のことを友人として好きなら一緒にいる時間をお互いに無駄にしないためにも、優しく指摘した方が良いと思いますが、貴方はどう思いますか?

 

ところが、このような質問をすると「指摘して何か言われるのも嫌だし…」とか「そこまでは親しいわけでもないし…」とその相手のことを友人だとは思っていない発言が出てきます。初めて自分自身の自己価値が低かったからその「悪い人じゃない」としか形容できない人と関わっていたことが分ったります。良く考えてみるとその人のことを好きではない自分が見えてきます。

 

付き合うなら「○○さんってすごく素敵な人なんだよ。~で、そして、~で…」と尊敬できる人や「あいつ馬鹿なんだけど憎めないんだ。心がすごく温かくって信頼できるんだ」と愛を感じる人、「また会いたい!」と心から思える人と付き合いたいですよね。

 

自分が友人や知人をどの様に形容しているか紙に書き出してみると面白いですよ。

 

併用する他の症候群

褒められることへの違和感、嫌悪感 → ギルト症候群
他人に自分の言動を指摘されるのではと気になる → 自意識過剰症候群
家族、愛する人を喜ばせて、自分を認めてもらい → 強迫観念症候群
自分には厳しいが他人には寛大 → 親切奉仕症候群
プレゼントや賛美の言葉を受け入れるのが苦手 → 清貧崇拝症候群

 

エクササイズ

自分のしたことを後悔し責めることが多い → 大腸のエクササイズ
他人から理不尽なことをされることが多い → 腎臓のエクササイズ
夜中にトイレに数回起きることがある → 膀胱のエクササイズ
胸がキュンと絞めつけられる感じがする → 心臓のエクササイズ

 

自己批判症候群の人のアファメーション

「私は完璧です」

完璧な人などいません。欠点がある自分を認めて、その自分を完璧だと認めるところから始まります。欠点があるから、だから、その欠点を直すためにあれこれ学んで実践して身につけていくのです。自分の成長が楽しめます。その問題のあるところが「この人生での課題」なのです。

そのことが理解できれば「勉強の出来ない自分」「容姿がいまいちの自分」「運動の出来ない自分」「他人と上手く会話が出来ない自分」「とんでもない環境で育てられた自分」などなどが、どうして完璧なのか分るはずです。と、ここまでは独善的批判症候群と同じですね。そしてもう一つは

 

「私は愛されるのに十分の価値がある」

 

自分の価値は他人と比べても出てきません。比べようとした時点で自分の価値を疑っているからです。
生まれてきたのはこの地球に芽が出たという状態です。種が発芽した時点ではどんな花が咲くか分りません。

花はいきなり咲きません。茎が伸び、葉がたくさん出て来て、つぼみがつき、それがやっと開くのです。自分の価値観が低い人は「これ本当に何か咲くのかな?」という不安や「多分、何も咲かないよ」という諦めでなんとなく鉢に水を上げている感じです。何位が咲くのかワクワクした気分で自分の可能性の種を育ててみませんか?

 

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