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親切奉仕症候群

親切奉仕症候群の人は字のごとく親切を奉仕的に行う人です。いつも他人のために時間とエネルギーを惜しみなく使っています。ギルト症候群に似ているけど、はっきりとした自覚症状はありません。困っている人がいると自分から他人を世話することを積極的に選びます。

 

他人が喜ぶのを見て自分のことのように嬉しくなります。他人に親切にするのは良いことです。しかし、どんな良いことも過剰であった場合、その過剰な分自分を取り巻くエネルギーのどこかに歪みが生まれます。

 

ギルト症候群の人は周りの人間に合わせ、他人のリクエストに応えながらも心のどこかに「何かが違う」とぼんやり感じています。しかし、親切症奉仕候群の人はかなり進行しないと自覚症状はありません。

 

短気な自分を変えたい、他人を非難する癖を治したい、と思うことはあっても、親切過ぎる自分を変えたいと人はなかなか思わないものです。親切奉仕症候群の人は「過剰に親切にしている自分」を認識できません。親切にして他人が喜んだことにハッピー、自分が役に立ったことでハッピーなのです。

 

親切奉仕には引越しの手伝いや残業を手伝うなどの肉体的な親切奉仕、プレゼントやチャリティーなどの物質的な親切奉仕、そして、愚痴や悩みを聞く元気づけるという精神的な親切奉仕があります。

 

肉体的と物質的な奉仕は目に見えて成果が分かります。どれだけ奉仕したかが物質的なので分りやすいのですが、精神的な奉仕は自分がどれだけ役に立ったのか分からないことが多いために自分の力が尽きるまで奉仕してしまう傾向があります。

 

良くあるのが悩み相談の親切奉仕です。親切奉仕症候群の人は親身になって相談を聞きアドバイスをします。しかし、親切奉仕症候群の人に集まってくる相談者は自分を変えて何とかしようという気持ちはあまり無くいろいろな方向から自分の周りの人間が問題だということを訴えるタイプが多いのが特徴です。

 

そして親切奉仕症候群の人は「私には愚痴を聞いてあげることしか出来ないから…」と辛抱強く献身的に愚痴を聞いてあげるのです。

 

自分を変えて改善しようと思っている人でも時には問題の解決策がなかなか見つからず、行動を起こすタイミングではない足踏み状態の時には愚痴をこぼしたくなります。そして、友人にそれを話すことによってストレスが一瞬解消します。そのような愚痴に友人としてたまに付き合うのは友人としてお互い様です。お互いの愚痴を聞きあい最期には笑って「良かった、話せて。聞いてくれてありがとう。すっきりしたわ」「ま、お互いにいろいろあるけど頑張ろうね」は全く問題ありません。

 

しかし、自己改善をする気など全くなく延々と他人を中傷し愚痴をいう人には要注意です。親切奉仕症候群の人には「あぁ~また○○さんのいつもの愚痴が始まった」と適当に相槌を打ってあしらうことなど出来ません。真面目なのです。真剣に耳を傾けてエネルギーを使ってしまいます。なんとかしてあげようと頭を使って解決策を考えます。

 

「え~?!また○○さんの話を聞いてあげたの?優しいわよね~。私なんか○○さんが話し出したらさっさと席を立っちゃうもんね~」と言われ、そうやって周りの人間から話を聞いてもらえない○○さんに対して「可愛そう。なんとかしてあげたい」「○○さんのことを分ってあげられるのは私しかいない」とますます親切奉仕症候群の人は親切心を募らせます。

 

そのような思いのエネルギーが親切奉仕症候群の人を取り巻きそれに引き寄せられるように、どんどん自分の人生に責任を持たない愚痴っぽいタイプの人が周りに集まってきます。(その人たちがみんな“悪い人ではない”というのはよ~く分っています)

 

「こんな話が出来るのは貴方だけなの」

「貴方と話すと本当にスッキリして元気がでるわ」

と、親切奉仕症候群の人のエネルギーをたっぷり吸い込んだ人たちは笑顔で「またね」と去っていきます。

 

愛や親切は良いことだから、制限無しに気前良くあげたい。しかし、他人に親切にしていることが自分の精神的や肉体的な疲れと関わっていることにもなかなか気がつきません。自分の疲れている身体や心をケアーする時間やそのことに気づく心の余裕もありません。気づいたとしても、自分に費やす時間よりも他人に費やす時間の方が多く、いたちごっこのようにいつまでも自分自身は癒えていません。

 

自動車が動くためにガソリンがいるように肉体も気=宇宙エネルギーを入れる必要があります。親切にすることは気(エネルギー)を使います。人を元気つけるのはエネルギーを使います。特にネガティヴなエネルギーの入った言葉を聞くのはかなりのエネルギーを消耗します。

 

宇宙エネルギーにしっかりと繋がっている人ならば愛を惜しみなく与えても、その分、宇宙からエネルギーが降ってきます。それが出来るのは惜しみなく喜びで愛を万人に与えられる境地にたどり着いた人たちです。

 

しかし、我々のような修行中の凡人は歓喜を味わった時、瞑想をした時、リラックスをした時、気の合う仲間といた時、良い睡眠をとった時、適度な運動をした時など、個人によって多少違いはあるでしょうが限定されている時だけ宇宙エネルギーに繋がります。

 

と、いうことは上記の様な事をしないで他人に親切奉仕をしてエネルギーを与え続けていると自分が壊れてしまうということです。

 

ストレスの内容によって各臓器にストレスが溜まっていきます。そしてそのままにしておけば、それは病気という形で現れます。

 

「あんな天使みたいに優しい○○さんが大病になるなんて/こんな不幸に見舞われるなんて…」という言葉を聞きます。親切奉仕症候群の人は大病になるまで奉仕します。

 

人生で不幸なこと不運なことに遭うのは悪いことをしていたための罰ではありません。心の反応の仕方を変える時、例えば人間関係、他人だけではなく自分との関係も含め今まで通りのやり方を変える時期だというサインです。

 

大病になって初めて他人の誘いに断ることが出来き、逆境に陥ったからこそ他人に救いを求めることを学びます。自分よりも他人に尽くし過ぎたためにマイナス状態のエネルギーは肉体的に現れれば病気に、精神的に現れればうつ病やヒステリーに、そして物質的には不動産、金銭のトラブルが起こるでしょう。

 

人間は助け、助けられるものです。親切を与えているだけで受け取ることが出来ない親切奉仕症候群の人はそこまで追い詰められて初めて自分が他人にしたような親切を受け取ることを学ぶのです。

 

どうすれば他人に親切にし過ぎている自分に気づくのか?チェックしてみましょう。

 

この中の一つにでも当てはまれば、その人とは他人と自分のエネルギーのバランスが悪い関係です。

 

* 他人に頼まれて何かをする時に心のどこかに「もう少し寝ていたかったな」「気が乗らないな」「え?それ私がすること?」などの否定的な思いが一瞬でもよぎることがありますか?

 

* はっきりとした思いじゃないけれど「行かなければいけない」「話を聞いてあげなければいけない」という「~しなければいけない」のような義務感がありますか?

 

* 他人に会って家に帰って来たら「会って楽しかった!また、会いたいな!」と思うよりも、どっと疲れた感じがしますか?

 

* 他人に頼ることが出来ない、何かしてもらうとすぐにお返しをしなければと思う。他人には同じ状況であれば“頼りなさい”とアドバイスをしているのに、自分がその立場になると他人に頼るぐらいならば大変でも自分一人でする方を選ぶ。

 

* 甘えることが出来ない、頼ることが出来ない。典型的なのは自分で何でもしてしまい、上手く他人に頼ったり甘えることが出来ないためにパートナーが浮気に走ったり、仕事でポジションを失ってしまったり「どうして?私は誰にも迷惑もかけずに一人で一生懸命にやってきたのに!」
(一人で頑張っちゃったから、一人になっちゃったってことなのです)

 

親切奉仕症候群の人は他人には親切ですが、自分には親切ではありません。「○○さんは働き過ぎだから、もっと自分ことを考えて大切にしてね」と他人にはアドバイスをするのに自分のことになると上手く判断が出来なくなります。

 

プライドの高い人、自分の欠点を見せずに「私は大丈夫」をしている人、幼い頃から自分の親、あるいは周りの大人に気を使ったり、世話をしたりしていた人、宗教や道徳的な教えから“他人に親切に”と“家族よりも他人”に親切に奉仕していた親に育てられた人は親切奉仕症候群になりやすいでしょう。

 

併用する他の症候群

いつも経済的に不安定。「お金よりも愛よ」が過剰になっている → 清貧崇拝症候群
親切に「しなくてはいけない」という意識が強い → 強迫観念症候群
他人の親切を素直に受け入れられない。「私は大丈夫だから」と拒否する → 苦行僧症候群
リラックスすることに罪悪感を持つ、怠け者のような気がする → ギルト症候群

 

エクササイズ

ため息を押し殺している → 肺のエクササイズ
疲れが取れない → 腎臓のエクササイズ
時々、心の中で暴言を吐いている自分にびっくりする → 肝臓のエクササイズ
風邪を引きやすい → 脾臓のエクササイズ
便秘、下痢 → 大腸のエクササイズ
慢性の肩首のコリ → 胃のエクササイズ、腎臓のエクササイズ
喫煙者、筋腫、腫瘍、癌などの疾患 → 肺のエクササイズ

 

親切奉仕症候群に必要なアファメーション

「私は私のことが一番大好きです」

自分のことを一番好きなのは自分。だから、自分のことを大切にします。自分のことを大好きじゃないと大事にしません。自分のことはいつも他人の後回しにしてしまいます。「自分のことは大事にしています。美味しいものも食べているし、欲しいものは買っているし、旅行も行くし…」という人、でも、他人に“お願い”したことありますか?他人が貴方に何かしてあげると言っても遠慮したりしませんか?

 

「相手が頼りになれば遠慮しないでお願いしますよ(笑)」とこの質問に答えた人、要注意です。貴方の周りには頼れる人がいないということです。あるいはいたとしても過剰な遠慮や過剰な親切心から無意識のうちに“頼りがいのある親切な人”を自分から遠ざけ、その代わりに“頼りなくて貴方の親切心に応えてくれる人”ばかりを集めているからです。

 

「私はどうでも良い、とにかく他人のために」とバイオコンピューターに設定されている人は(もちろん、本人は自覚がありません)自分を大事に、の仕方がほとんどの場合がお金を使うことなのです。人の親切や善意を使わないのです。感謝の気持ちにはいろいろな種類がありますが、他人に親切にしてもらったことから生まれる“本当にありがとうございます”という感謝も大切ですよ。そしてもう一つのアファメーションはこれです。

 

「私は他人の親切を受ける価値がある」

 

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